才能社会がいいのか努力社会がいいのか
日本ではウサギと亀の童話がよく持て囃されます。
ご存知のとおり、亀は才能的にウサギに劣っているのですが、怠けるウサギを横目に、ひたすら努力する事で勝利するサクセスストーリーです。
元々は西欧から来た話のようなのですが、油断大敵の戒めとして日本に根ざし、いつの間にか努力すれば報われると言う形で浸透しています。
さてそんな努力大好きな日本人ですが、世界では違った考えを持つ人も多いようです。
ドイツから日本に来て常々感じているのが、「日本は努力の社会」だということ。…(中略)…筆者の出身国であるドイツはもっと残酷です。ドイツの小学校では4年生、つまり10歳で卒業なのですが、なんと4年生が終了したその時点で、将来大学へ行くために進学するか、職人になるための学校へ進むかを選ばなければなりません。…(中略)…ドイツの場合は努力よりも「生まれ持った才能」が重視される傾向があります。…(中略)…逆にドイツ人の大人は、苦手な分野に関しては早々と諦める人が多かった印象です。
>>「努力は必ず報われる」は日本だけ? 日本は「努力社会」、ドイツは「才能社会」
ドイツは10歳で将来を決めちゃうんですね。
さすがにちょっと早い気もしますが、生まれ持った才能を活かすと言うのは重要だと思います。
過去の偉人の格言の中にも、努力もさることながら才能を重視するような発言も結構あります。
例えばこんな感じ。
- ベートーベン:努力した者が成功するとは限らない。しかし、成功する者は皆努力している。
⇒努力しなければ駄目だと言っているようにも聞こえますが、才能のある分野で努力しろとも聞こえます。才能のある人が努力すれば、凡人は追いつけませんからね。 - エジソン:天才は1%のひらめきと99%の努力
⇒99%努力なんだから努力でカバーできると言っている様にも聞こえますが、もともとは1%のひらめきを大事にし、それに対して99%分努力しろと言う意味です。最初のひらめきが無ければ努力して何とかなるのかどうかはよくわかりません。
格差脱出研究所:努力した者が全て報われるとは限らんが、成功した者は皆すべからく努力しておる
マイナビニュース:「天才は1%のひらめきと99%の努力」は大うそ!? 名言の誤解
弱者の戦略ではありませんが、結局No.1になれなければ他の種に淘汰されてしまいます。
なら勝率の高い分野(つまり才能があり先天的な優位性がある分野、誰もやっていない分野)で勝負しようとするのは自然界では普通なのでしょうが、人間社会では必ずしもそうではないのでしょう。
問題はどこに才能があるのかと言う事でしょう。
一番いいのは、色々やらせてみて、何が好きそうか感じることだと思います。
才能の乏しい分野はかけた時間に対して中々できる様にならない分、苦痛も多いので割とすぐわかります。
10歳は早すぎだと思いますが、15歳位まで彼是やらせてみて、苦も無くやっているもの、本人は努力していないと思っているのに他人からは努力しているように見えるものとかをやらせてみるのが良いのではと思います。
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