格差は安直に使える言葉ではない
最近原発の所為であまり聞かなくなりましたが、日本では相変わらず格差という言葉が流行っています。
ちょっと贅沢ができないのが格差だとか、給料に差が出るのが格差だとか、結構言われています。
ただ世界を見渡すと、格差と言うものはもっとシビアで、日本人のいうような生ぬるい言葉では無い事がわかります。
ある米国人がピカドさんに、腎臓を片方くれるなら、ニューヨークでの仕事とアパートを提供すると約束したという。当時23歳だったピカドさんは高校を中退し建設現場で働いていた。母親によると、彼はその話に飛び付いた。
>>ある貧しい若者の死が映す臓器売買の闇-違法市場、世界各地に広がる
貧しさから抜け出すために常にチャンスをうかがっている彼らは、臓器を売ってでもチャンスを掴もうとしています。
こういうのを見ていると、日本でいう格差が如何に小さい物なのかと言うことを実感します。
世界には人工透析をしている人は山ほどいますが、実際に提供される臓器は殆どありません。
移植待機者数は増える一方です。
実際には待っているうちに死亡したりするので、倍率は下がるのでしょうが、常に死神が横にいるのは耐え難い苦痛でしょう。
お金で何とかできるのなら、と思う人がいたとしても不思議ではありません。
記事の下の方にも書かれていますが、フィリピンなどは臓器売買が合法化されています。
あまりに違法な臓器売買が続くため、合法化して政府の管轄化に置きたかったようです。
日本では殆ど報道されませんでしたが、結構話題になりました。
zara's voice recorder:フィリピンで腎臓売買公認へ
買いに来るのは勿論先進国の一団です。
当然日本人も含まれています。
なんだかんだ言っても日本人は裕福なので、結構酷い事をやっています。
こうやって考えると、日本だけ見て"格差"と述べるのは少し安直過ぎる気がします。
なんというか近視眼的です。
以前どこかのエコノミストが、「日本人は旅に出るべきだ。どれほど恵まれているかわかるはずだ」と言っていましたが、確かにそうなのかもしれません。
あまり身の周りだけで話を完結しない方が良さそうです。
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