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何故銀行を救うのか?③ - "信用"の源泉

今シリーズも第3回です。
前回は昔のお金(貨幣)の製造法、いわば"古代"信用創造を見てきました。
昔は目で見て手で触れるものを、実物資本を原資とした金本位制等を使っていました

理経済:何故銀行を救うのか?① - 信用創造の仕組み
理経済:何故銀行を救うのか?② - 昔のお金製造法

しかし、これには重大な欠陥が有りました。
実物と言う足枷があるため、実物の量以上に経済が拡大しないわけです。
また、輸入超過になると地下金庫の金塊がみるみる減っていきます。
現代でも国債の残高が増えたりしますが、当時は日に日に山が小さくなっているのが目で見えるため、インパクトは相当なものだったでしょう。

この為、世界はまず植民地政策や領土拡大を図りました。
金は地下資源ですから、領土が広い方が有利だからです。
第一次資源戦争ですね。
ついでに農地も拡大できて一石二鳥です。

コロンブスは香辛料を求めてインドを目指したことで有名ですが、一説には「黄金の国 ジパング」を目指していたのでは、と言う説も有ります。

及川孝生のホームページ:「ジパング伝説」

彼はマルコ・ポーロ東方見聞録の読者でした。
彼に出資したスペイン(当時は分裂していたようです)政府も金を期待していたのかもしれません。
その後スペインから米大陸に渡ったピサロが、インカ帝国の王アタワルパからしこたま金製品を巻き上げて殺したのも有名です。

しかし、さすがにこんな事は長くは続かず、経済的な限界から金などの実物資本と交換できない不換紙幣を混ぜ、経済を発展させることにしました。

それまでは、触れる"金の信用"を担保にお金を作っていましたが、ここからは目に見えない"国家や銀行の信用"を担保としたお金も作れるようになったわけです。
"信用"によってお金を"創造"出来るようになったのです。
信用は目に見えず、数値化さえ難しいですからこれを原資にするとお金の発行が格段に楽になりました。

同時に、裏づけが無い為信用が崩れると非常に脆いという欠点も抱える事になりました。
無い袖は振れないのが現代ですが、昔は振れて当然と言う感覚だったのでしょう(次回書きますが、これは正確ではありません。そしてポイントです)

その後、このハイブリッド金本位制は1971年のニクソンショックまで続きます。
米国が金とドルの交換を止めた為、金本位制は瓦解しました。
これを契機に管理通貨制度に移行し、お金が実物資本から切り離されました
お金は、金の引換券ではなくなったのです。

実は、"銀行や国家の信用"が本当の意味で重要になったのは割と最近なのです。
第1回で信用創造の現代の定義を示しましたが、正確にそうなったのはわずか38年前と言うことになります。

社会に信用が溢れると、消費者は銀行に預金という名の貸付を行い、それを銀行が他者や他行に貸付ることで、会計上のお金の総量は増えていきます。
国家や中央銀行は預金準備率公開市場操作等を通じて銀行の貸付量とお金の量を操作します(日銀は否定していますが、仕組みはそうなっていません)
また、国家自身も国債を通じてお金借りています。

現代と古代のお金において決定的に違うのは、昔は実物を信用してお金が出来ていたのに対し、今は"お金を作っている人の信用"によって出来ている点です。
信用の源泉が大きく変わったわけです。

ポイントは"お金を作っている人"と言う点。
お金が作れるなら別に銀行でなくてもいいんですね。
続く…

理経済:何故銀行を救うのか?④ - 銀行なんて放っておけ

余談ですが、逆に社会に信用が少なくなると、取り付け騒ぎが起こったり、今のような金融危機になります。
借りすぎると「国は借金大王だ!金なんて貸せるか!」となって強烈なインフレに見舞われます。
信用の無くなったお金は、本来の価値である紙や金属の価格まで下がります

ジンバブエドル

世界四季報:1000億ジンバブエドル紙幣

そして大概踏倒されます。

政府借入金の割合

日本の戦時債券:戦後のハイパーインフレ

戦前、戦中期に発行された国債はちゃんと償還されたんですか?

こちらは2002年なのでかなり最近。

アルゼンチンの預金封鎖

BBC:Argentina closes all banks

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経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

 こんにちは

 そうなんですよね、本来的には、経済活動は、物々交換の原則がないと、おかしいはずで、お金ばかりあっても、あるいは貯めても、仕方が無いはずだと思います。

 でも、世の中そういうふうにはなっていない。お金はたくさんあればあるほど良いとなっています。

 本来的な物々交換の原則で言うと、お金があればあるほど、それに見合った、現物、例えば日本の江戸時代で言うなら、米があればあった方がよいと言う事になりますが、米ばかりあって、それを食べる人がいなければ、米があっても仕方が無いはずです。

 にもかかわらず、現代は、実際の現実に見合ったふうも無く、あくなき米製造に邁進している様な感じがします。

 米があまって1年も経てば、味も落ちるし、カビも生える。そんなお米は捨てるか、肥料にするしかないのですが、お金はそうならないように、価値が変わらない様に、いろいろ調整が入る。どっかに無理があるように思います。

 経済学は全くの素人で、そういった単純な理屈が、実際として世の中で今、一体どうなっているのか、経済学入門みたいな本にも書いていないし、かねてよりとても不思議です。

 次回を期待しています。

投稿: Jamira | 2009年10月 8日 (木) 17時18分

コメント有難う御座います。

お金の管理は難しいものです。
米は腐って価値が無くなりますが、
お金は腐らない為、刷ったら刷っただけ市場に溜まります。

勿論回収も可能ですが、このタイミングが極めて難しく、
早すぎると景気が悪化し、遅すぎるとバブルを助長します。

さらに、市場のお金の需要が少ないと、
増やそうと思っても増やせなかったりします。

そうかといって今の経済を本位制に戻すのはこんなんですから、
それに嫌気が差した人たちが原油や金を買い、
擬似的に本位制をしています。
最近では炭素本位制などと言う言葉も出ています。

経済とは、詰る所この二つの間を行ったりきたりしているのが現状です。
だから過去と似たような事が起こるのですね。

投稿: なる | 2009年10月 8日 (木) 23時48分

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